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偽造ほんわかABCD

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 学院の怪談 Ⅱ

 
 
 「シンルさん、先ほどは見苦しい所を見せてしまってすみません」
 サルトルは腰の高さほどの中空に、魔法のマーカーで魔力痕を辿る陣を描きながら、本当に申し訳無さそうに謝る。
 ユリ先生はサルトルの指示で触媒となるものを調達しに行っていて、室内には私とサルトルしかいない。
 「いえ、気にしないで下さい。さっきまで二人は仲が悪いのかなって思っていたので、ちょっとびっくりしましたけど…」
 サルトルは、ユリ先生が部屋を出た瞬間から、いつも通りの冷静な調子に戻っていた。その豹変の理由は、なんとユリ先生にあった。
 「仲が悪いというより、本当は私が一方的に嫌われているだけなのです。卒業以来、何年も会っていなかったので、ちょっとは素直になれるかとも思ったのですが…。どうしてもユリの前に出ると緊張してしまうのは、治らないようですね」
 「…あれって、緊張していたんですね」
 素直になれないから「そろそろ私のところに来る気になりましたか?」なんて俺様キャラになる理由がよくわからない。それは私の恋愛経験が足りないからだろうか、もしくは世間一般的にも可笑しな事なのだろうか。
 「それにしても、シンルさんが話していた、世話を焼いてくれる師匠というのは、ユリの事だったのですね」
 そう言いながらも淀みなく腕を動かし、室内の大半を占める大型の陣をスラスラと描いていくサルトルからは、先ほどの面影を欠片も感じない。
 「はい。休みの日には買い物に連れて行ってくれたりもするんですよ」
 「そうですか…、ふむ…」
 サルトルはそこで、陣を描く手を止めて、考え込む。その表情は真剣そのものなのだが、先ほどの事もあって、私は、内心可笑しくてたまらなかった。私は何とかその様子を見せないように、陣に使う式符に呪文を描いていく。
 この魔力痕の陣は、世に出ていないし、研究や改良の加えられていない陣なので、かなり大掛かりなものになりそうだ。
 と、考え込んでいたサルトルが口を開いた。
 「その、ユリはどういった物が好きなのでしょうか?買い物の時、どういう物に興味を示しますか?」
 その、冷静な論調と、内容のかみ合わなさに、つい私は吹きだしてしまった。サルトルは困ったような顔で私を見ている。私は何とか笑いを抑えて答えた。
 「……笑ってしまってすみません。
  そうですね、可愛らしい小物は好きみたいですよ。この前、星型の髪留めを買ってました。自分には似合わないから、髪留めとしては使わないけどね、って言ってましたけど」
 「なるほど、それは意外ですね…。確かに、あのユリに星型の髪留めは似合わない」
 「……それ、本人に言ったら怒ると思いますよ」
 サルトルはやはり冷静にそう言ったが、私は突っ込まずにはいられなかった。ユリ先生本人を前にした時のあの調子では、本当にさらっと言ってしまいそうだ。
 「そういえば、シンルさんの世代は、特待研究生として入学した者が二人いるのですよね?」
 サルトルは私の言った事を聞き流して、作業を再開しながら言った。
 「はい。私はサルトルさんのお陰だし、事情もあったから、本当の特待研究生じゃないのかもしれないけれど、もう一人はラニアといって、入学時に学院長の試験を受けて特待研究生になった人で、すごく優秀なんです」
 悔しいが、優秀なのは事実なので、私はそう答える。
 「いえいえ、シンルさんもすごく優秀ですよ。噂は聞いています。…それにしても、やはり何もかも私たちの世代とそっくりだ。一年に二人が、最初から特待研究生として入学した事も、その二人が学年トップクラスの成績を争っている事も」
 サルトルは懐かしそうに目を細める。
 「やっぱり、サルトルさんも特待研究生だったんですね」
 私はサルトルに褒められた事を嬉しく思いつつ、そう聞き返した。一年に二人も学生の特待研究生が認められる事はとても珍しいらしく、私たちの世代の事を、十年前以来、と言っているのを何度か聞いた事があるので、サルトルとユリ先生が、その十年前の二人の特待研究生だという事は、先ほどの話の流れでなんとなく予想出来ていた。
 「えぇ…。しかもあのハルトゼイネルを師に持ってしまったものだから、毎日、恐ろしく過酷な課題を山ほど出されていましたよ」
 サルトルは苦笑しながら言った。私も、学院長の意地悪な課題を一度体験している。
 学院長に報告した時に知ったのだが、あの巨神兵の涙を取って来る課題の時、赤竜人族の魔道士が襲ってくる事は、最初から予想されていたらしい。私とラニアが危険な魔道士を撃退した事を報告すると、学院長は、ほうほう、とのん気に笑って、『それは良かった。いつものメンバーで行くと、遠くから様子を伺ってくるだけで手出ししてこなかったので、困っていたのです。あなたたち子供二人にやられたとあっては、もう襲ってくる事も無いでしょう』と言った。
 そんな課題が毎日続く苦痛なんて、私には想像出来ない。
 「学院長って、サルトルさんの頃はよく学院に居たんですね。今は、いろいろなところを飛び回ってるみたいで、学院にはほとんど戻ってこないんです」
 「その様ですね。まあ、昔も突然居なくなる事はよくありましたが。……まったく、身体ひとつで世界中を飄々と飛びまわれる魔道士なんて、多くの召還術と全ての属性の術式を使いこなせるあの人ぐらいのものです」
 サルトルは呆れた、と言わんばかりの表情で言う。今では、三大魔道士として同列のように並べられていても、サルトル自身、学院長の魔道士としての強さに自分が及んでいない事は自覚しているのだろう。
 私から見ても、サルトルは超えられる気がしないほどの素晴らしい魔道士だったが、学院長は、もっと何か得体のしれない、比べる事も出来ないほどの高い次元に居る魔道士だった。
 第一、あの巨大な飛行鯨を使い魔として使役している時点で規格外なのに、産まれもっての相性で、一人が満足に使いこなせる属性はせいぜい3属性が限界のはずなのに、炎、水、風、光、闇の全ての属性の術式がほぼ完璧に使いこなせるなんて、他に聞いた事がない。
 「……おっと、そういえばこれを忘れていました。触媒が、ユリに頼んだものだけでは足りませんね」
 と、サルトルは唐突に言い、ポケットから手帳を取り出して何事か書き、私に手渡した。
 「シンルさん、すみませんがユリのところに行って、ここに書かれたものも一緒に持ってきてください。こちらの作業はもうすぐ終わりますし、シンルさんに頼んだ式符も私がやっておきましょう」
 サルトルの手際良い譜陣の様子が見れなくなるのは残念だったが、私は素直に従う事にした。私の方の作業も、半分も残っていないし、私とユリ先生が別棟から帰ってくる頃には、陣はもう完成しているだろう。
 
 「ユリ先生、何してるんですか?」
 主に研究生達によって実験が行われている、研究棟の倉庫に足を運ぶと、そこにはなぜか、何もせずに椅子に座ってぼーっと窓の外の夕日を眺めているユリ先生の姿があった。ユリ先生は私の声にぎくりと振り向く。とても不安そうな表情をしていた。
 「……シンルか。何しに来たの?」
 その声にはいつものはきはきした感じが無い。
 「触媒、ユリ先生に頼んだのだけじゃ足りないみたいで、それで取りに来たんです。というか、どうしたんですか?もしかして触媒がなかったとか?」
 ユリ先生のあまりの元気の無さに、私まで不安になってしまう。ユリ先生はけだるそうに横に置かれた木箱を指差して、答える。
 「いや、あるよ。ここにぜーんぶ、入れてある。でもさ、気が重くってさ…」
 ユリ先生はそこまで言って、がくりと肩を落とした。
 「あー、何でサルトルのヤロウが来る前に気付かなかったのかなぁ。考えてみれば、確かに昔の事件と同じだよなぁ。でもあいつ、ああなったらもう止まらないよなぁ…」
 「………??」
 私は事情が飲み込めずに、倉庫の入り口に立ち尽くす。
 「シンル、とりあえずこっちにおいで」
 ユリ先生は俯いたまま、私の方を見ずに手招きをする。
 私がしょうがなく近づくと、ユリ先生はいきなりがばっと顔を上げて、私の両肩を掴んだ。思わず、「ひゃっ!?」と悲鳴をあげてしまう。
 「シンル、これから言う事、ぜーったい秘密にする!?サルトルに言わない!?それから、怒らない!?」
 ユリ先生はそんな私にはお構いなしで、私の両肩をぶんぶんと揺さぶりながら、眼をぎらつかせて言う。私はまったく意味がわからないまま、勢いに押されてかくかくと首を縦に振ってしまった。
 ユリ先生はそんな私を見て、はぁーっ、と深いため息をついて、口を開いた。
 「実はさ、今度の事件、俺犯人知ってるんだよね。……ていうか、原因俺かも…」
 「…………は?」
 「いや…、だから、真相究明するまでもなく、知ってるんだよね。俺のせいだし」
 「………」
 それは予想外すぎる。私は絶句してしまった。
 そのままどちらも口を開く事なく、夕暮れの倉庫にしばしの沈黙が訪れた。私はもう、混乱してしまって何を言っていいのかわからないまま、ユリ先生の顔を見つめるしかなかった。その、ユリ先生の顔が、だんだんと泣きそうな表情に変わっていく。
 私は居た堪れなくなって、混乱した頭で何とか言葉を見つけて言った。
 「えっと、怒らないし、サルトルさんには言いません。……でも、それだけじゃあ意味がわからないです」
 「うわーっ!シンルーっ!」
 突然、ユリ先生はがばっと私に抱きついて、ぐりぐりと身体を押し付けた。そして、ほとんど涙声で、「あのね、あのね」と話し始める。
 まったく、どちらが年上かわかったものではない。
 
 ユリ先生の話は、ユリ先生とサルトルが卒業を間近に控えた頃までさかのぼる。
 その頃、ユリ先生は研究生として学院に残る事が決まっていたが、サルトルはまだ、学院に残るか、赤国に渡るか、決めかねていた。そして、サルトルとライバル関係にあったユリ先生としては、サルトルが赤国に渡るのは、きっちりとした勝敗をつけた後にして欲しかったのだという。
 そこでユリ先生は、サルトルに『進路が決まったら読め』と言って、一枚の手紙を渡した。(ユリ先生本人は、手紙を果たし状と言っていた)
 しかし、大人なユリ先生は、手紙を渡した後で考え直して、やっぱり、そういう争い事は良くないな、と思った。(この部分はどう考えてもユリ先生らしくないけど)
 そこで、ユリ先生は秘密裏に手紙を回収する為に、一体の鬼を召還した。その鬼は、身体を透明にする事が出来る悪戯好きの鬼で、ユリ先生が、サルトルに渡した手紙をとって来い、と命令すると、楽しそうに笑って窓から飛んで行ったのだという。
 そして、その鬼はそれっきり帰ってこなかった。サルトルへの手紙も無くなっていたが、同時に学院中で多数の小物が紛失し始めた。明らかに召還された鬼が暴走して起こした事件だった。つまり、ユリ先生は召還の術式を中途半端に失敗してしまっていたのだ。
 それが、ユリ先生とサルトルの時代の、『学院の怪談』。
 そして、ユリ先生とサルトルの挑んだその事件は(ユリ先生の果敢な捜査撹乱もあって)未解決に終わり、サルトルの卒業と共に、小物が紛失する事も無くなった。
 その後、ユリ先生は独自に鬼の居場所を探したが、身体を透明に出来る能力を持った鬼を、見つけられるはずもなかった。
 そして、誰もがその事件を忘れ去っていった。が、ユリ先生は、やっかいな事に召還の術式を中途半端に成功させてもいた。
 サルトルの存在、つまり、私に会いに来たサルトルがトリガーとなって、召還した鬼が六年振りに活動を再開してしまったのだ。
 それが、今回の『学院の怪談』の正体。
 
 「今回はその魔力痕の陣とやらで、多分鬼の住処までわかっちゃうのかなぁ?召還してすぐ逃げられたから、俺も知らないのに。というか、そこには多分、あの手紙…、じゃなくて果たし状もあると思うんだよ。うわああ、あいつに見られるくらいなら死ぬ…」
 ユリ先生は、一通り話し終えた後も、ぽかんとしている私に向かってぐちぐちと嘆く。
 そういえば、私はこの人に『素直じゃない』と言われた事があるけれど、その言葉をそっくりそのまま返してやりたいと思う。
 どう考えても、その手紙はラブレターで、学院に残って欲しい、という内容だったのだろう。そして、ユリ先生の性格からして、多分渡した後で恥ずかしくなって、読まれる前に回収しようとしたのだ。
 この二人、実は両思いだったのでは。
 「とにかく、前回はごまかせてても、今回は本当に無理だと思いますよ。魔力痕の陣は、近くに同系の魔力の発生源があるなら、そこまで追跡できますし。陣だけでは、ユリ先生が召還した事はバレないでしょうけど、鬼は魔法生物だし、住処まで行けちゃうと思います」
 私は、限りなく繊細になっているユリ先生を出来るだけ刺激しない様に、言葉を選んで言う。正直、呆れてしまって怒る気は起きない。
 「だよなぁ、だよなぁー。そこでシンル、師匠の頼みを聞いてくれないかい」
 「えっと、二人とも知らなかった振りをして、住処に着いたら、まず鬼を何とかして、サルトルさんより早く手紙を探しましょう。二人で探せば、多分先に見つけられますよ」
 私はユリ先生の言いたい事を先読みして言った。その瞬間、ユリ先生はまたがばっと私に抱きついて、私の身体を力任せにぶんぶんと揺さぶった。
 「わかってるじゃないか、ありがとう!でもシンルが先に見つけても絶対開封するなよ!そっと俺に渡せ!」
 開封しなくても中身なんて透けている。
 
 私とユリ先生が部屋に戻ると、陣は既に完成していて、後は四方に触媒と式符を設置するだけになっていた。
 そしてなぜか、その陣の中心で、サルトルが両手を広げた状態で直立している。
 「遅かったじゃありませんか、あなた達がのんびりしている間に、もう陣は完成してしまいましたよ!見てください、この美しい陣をっ!完璧ですよっ!フハハハハッ!」
 もしかして、陣が完成してから私とユリ先生が話し合っている間、ずっとあの姿勢で待っていたのだろうか。もはや、緊張するとかではなく、わざとやっているとしか思えない。
 「こんな重いもん女二人に運ばせといて何言ってんだ。それで陣が不発だったら笑う気も起きないぞ」
 ユリ先生はイライラした声で言うが、ユリ先生の心情を知った今となってはもう、その嫌味も素直に嫌味として聞く事が出来ない。この二人はどうしてこうなのだろう。まったく理解が出来ない。
 「このサルトルにそんな失敗はありえませんよ。研究の成果によって長年の謎が一つ解明される。素晴らしい瞬間に立ち会えた事を幸運に思ってください。これで、無数の引き分けになっていたユリと私の戦いがまた一つ、私の勝利となるのです」
 「そんなモンもう時効だよ。卒業時点で俺が勝ち越してたんだから、それでもう結果は出てるだろ」
 「おや?ユリ、正しい記憶を持つ事が、偉大なる魔道士への第一歩ですよ。確か卒業時点では……」
 そんな会話を続ける間にも、サルトルのポーズは目まぐるしく変化し、そしてユリ先生の表情も目まぐるしく変化していく。
 「あの、とりあえず触媒と式符をセットしましょう。一応、三人の合作ですし、勝敗なんて…その、ね?」
 私は出来るだけ二人を刺激しないように話しかける。師匠と、今や三大魔道士と呼ばれる偉大な二人の魔道士を前にして、なぜこのような気を使わなければならないのだろう。二人きりで話す時は、まるで父と母のように居心地の良い相手なのに。
 「そうでしたね。シンルさん、あなたの描いた式符の呪文、とても丁寧で関心しましたよ。きっとこの術式は成功するでしょう」
 「ありがとうございます。嬉しいです」
 私は褒められた事が素直に嬉しく、そう答えたが、ユリ先生は自分の師匠としての仕事を取られたと思ったのか、ぶすっとしてその様子を眺めていた。まさか私に嫉妬したという事はないと思うが…。
 
 ――始祖 アブクードに描くは 智の荼羅図
   我 バベルに組み込まれし石塊 欲するは智
   此処に過ぎ去った熱に 始原の熱を重ね
   我が渇望に答えよ ホットリーディング――
 
 陣を組み終わると、サルトルは静かに唱えた。その途端、陣が輝き、四方に置かれた触媒の上の式符がふらふらと宙に浮き、震え始める。
 式符はしばらく中空で小刻みに震えた後、四枚全てが同じ方向を向いて止まった。陣は、全体では少しずつ光を減衰させていき、中心では逆に光が強くなっていく。しばらくして、中心の光はぼんやりとした子鬼の形に浮き上がった。
 「サルトル、お前の詠唱文センス、まったく変わってないな。ホットリーディングって何だよ。何とかならないのかよ」
 「ふむ…、これは使い魔でしょうか…?」
 サルトルはユリ先生の文句を華麗に聞き流して、興味深そうに陣の中心に浮かび上がった光の塊を眺める。
 私とユリ先生は、それがあの子鬼だとわかるが、サルトルにとっては何かの生物としかわからないであろう。魔力追跡の対象が、魔法ではなく、魔法生物であった為、こうなったのだ。とりあえず、ユリ先生の仕業である事はバレなさそうなので、何とか無事に終わりそうだ。
 「えっと、魔法ではなく魔法生物のようですね。こういう場合も想定されているのですか?」
 私は出来るだけ驚いた風を装って聞く。冷静な状態のサルトルの洞察力の深さは知っているので、ボロを出さないように細心の注意を払っているつもりだが、大丈夫だろうか。
 「もちろん!私の術式は完璧なのですよ。それに、魔法生物であった事はむしろ都合が良い。式符も反応しているし、間違いなくこの魔法生物は、学院の近くに潜伏しています。この式符の示す方向に進めば、この魔法生物までたどり着けるでしょう!使い魔であれば、そこから犯人を割り出す事も容易です!フハ、フハハハッ」
 とりあえず、この調子なら大丈夫そうだ。
 「そんな簡単にいくかよ」
 全ての真相を知っている癖に、ユリ先生はサルトルのやり方を否定しなければ気が済まないのだろうか?
 
 とにかく、私達三人は陣から式符を一枚取り、その式符の示す方向に向かう事にした。現在地である寮は、魔法学院の地下の断崖をくり抜いて作られているのだが、寮の最下層まで降りても、式符はさらに下を指している。これはつまり、地底でなければ、海岸近くに魔法生物が潜んでいるという事だ。
 私とユリ先生が、外に出る為に寮の階段を上ろうとすると、サルトルが後ろから私達二人の肩に手を置いた。振り向くと、サルトルは不気味な笑みを浮かべて言った。
 「フフフ…、魔道士ともあろうものが、そのような方法を選んで良いのですか?」
 サルトルはそのまま私達の肩を掴んで、廊下の突き当たりの窓までぐいぐいと引っ張った。そして窓を開け放つ。潮風が吹きつけ、私とユリ先生の髪をなびかせた。
 「おまっ……ちょっと待てよっ」
 ユリ先生が焦ってサルトルを止めようとするが、もはやサルトルには聞こえていない。サルトルが両手で印をすばやく結び、窓から手を出すと、その手に、はるか下の海岸から吸い上げられた水が集まる。
 「これくらいあれば、三人分を支えられる程の翼が作れるでしょう。さあっシンルさん!捕まって下さいっ」
 サルトルは嬉々として叫びながら、私に言う。私が驚きつつもサルトルの腰にぎゅっとしがみついた瞬間、サルトルはばっと窓から身を乗り出した。一瞬、ふわりとした浮遊感を感じた瞬間、海に向かって落ち始める。私は恐怖で背筋が凍りついた。この男、まだ水翼の印も詠唱文もまったく使っていないのに飛び出した!というか、ユリ先生は!?
 「だああーっ!待てって言ったのにッ!!」
 と、ユリ先生の声が聞こえる。私が落下の目まぐるしい視界の中でユリ先生の姿を探すと、いつの間にかユリ先生はサルトルの両手にいだかれていた。
 「暴れないでください!印が結べない!」
 サルトルは落下しながらも楽しそうに叫ぶ。駄目だ。私死ぬ。だって暴れる暴れない以前に、ユリ先生を抱いたまま印を結べるはずがない。お母さん、帰省出来なくてごめんなさい。馬鹿モードのサルトルが予想以上に馬鹿でごめんなさい。シンルは、もう駄目です。
 「まったくもう、しょうがないっ!!シンルさん、行きますよ!しっかり掴まっていてください!」
 と、サルトルが言い終わった瞬間、ぐぐっと腕が引っ張られた。私はその衝撃で危うくずり落ちそうになったが、必死でしがみついて耐える。程なくして、私達の身体は空中で安定した。
 なんと、詠唱も印もなく、巨大な水翼が完成している。何が起こったのか理解は出来ないが、どうやら助かったらしい。
 「気持ちが良いですね!」
 サルトルは水翼をばっさばっさと羽ばたかせながら、楽しそうに言う。ユリ先生はサルトルにお姫様抱っこされたまま、眼を白黒させている。
 「あははははっ!!」
 私は予想を大きく超える出来事に、恐怖を通り越して笑い出してしまった。広大な海に夕日が沈んでいくのを眺めながら、潮風の吹く中をゆっくりゆっくりと降りていく。確かに、とても気持ちが良かった。
 「良いからっ!早く降ろせよっ!高いところは苦手なんだよ!あと抱きついてんじゃねぇっ!」
 ユリ先生はそう言いながらも、両腕だけはサルトルの首にしっかりとしがみついて離さない。
 
 
 結局、私達はたっぷりと空中散歩を楽しんで、砂浜に降り立った。ユリ先生は本当に高い所が苦手だったらしく、地に足が着いた瞬間、へなへなと座り込んでしまった。怒る気力もない様子だったが、眼だけは恨めしそうにサルトルを睨みつけていた。恐怖か恥ずかしさか、どちらかはわからないが、顔が真っ赤になっていて、何の迫力もなかったのだけど。
 「サルトルさん、さっきの水翼、印も使わずに発動できるなんてすごいです」
 私は素直に関心してそう言ったが、サルトルはあっけらかんとして答える。
 「いえ、印なら結びましたよ?あの規模の水翼を印無しで発動できる魔道士は、今の世には居ないでしょう」
 「……ユリ先生を抱っこしたまま?」
 私が疑いに満ちた表情でさらに追求すると、
 「ええ。足で結びました」
 サルトルは、サラリと言い放った。
 やはりこの人は、すごい。色々な意味で。
 「ところで、式符の反応が強くなっています。目的地は近いですよ。角度を見ると、どうやら目標は海岸洞窟か何かの中に居るようですね。さあ、行きましょう!」
 サルトルは既に手のひらに式符を浮かべていた。確かに式符は、やや斜めになりながら断崖の方向を指している。サルトルは、ユリ先生の前ではとことんアグレッシブで居ないと気が済まないのだろうか。
 「い…いや、ちょっと休まない?」
 よっぽど怖かったのだろうか、ユリ先生は未だに砂浜にへたり込んで、肩で息をしている。
 「ユリは休んでいてもかまいませんよ!さあ、シンルさん、いきましょう!」
 と、サルトルは歩き出す。ユリ先生は、先に住処につかれては困ると思ったのか、操り人形のようなギクシャクとした動きで立ち上がって、ふらふらと歩き出した。
 式符の示す場所は、砂浜が途切れた先、いくつもの大きな岩が無造作に転がる崖の麓だった。学院から歩いて降りられる場所からはもっとも遠く、泳ぐ事が目的の人も、ほとんど来ない。その崖の奥まった場所に、小さな穴が開いている。どうやら、ユリ先生の召還した鬼はここを住処にしている様だ。
 「ふむ…。反応は確実にこの中からなのですが…、この大きさだと、入れそうにありませんね」
 サルトルは残念そうに言って、崖の穴を覗き込もうとする。と、それをユリ先生が制した。というより、半ば強引に割り込んだ。
 「ちょっと待ってろよ。今、中を照らして…」
 ユリ先生はそう言って、穴の中に片手を入れて、指先に魔法の灯を点した。それから、ぐぐっと中を覗き込む。ユリ先生としては、サルトルに中を調べられるのは危険と判断したのだろう。サルトルは不満そうにその様子を見ている。
 ややあって、ユリ先生は身体を起こし、嬉しそうに報告した。
 「うん、入り口は狭いけど、中は広そうだ。シンルなら入れそうだと思うぞ」
 ユリ先生はそう言って、私に目配せする。なるほど、多少のイレギュラーだったが、それは良い作戦に思える。
 「ユリ、それはいけません。危険でしょう!中にもし使い魔を使役している魔道士がいたら…」
 「いえ、やってみます!大丈夫、もし危なくても、急いで逃げて来ますから!」
 私はサルトルの言葉にかぶせるように言った。ちょっと強引だが、ユリ先生の望みを叶えるにはこの方法が一番良いだろう。一人なら、二人の痴話喧嘩に付き合わなくて済むのも、嬉しいところだ。
 「私が入り口をちょこっと爆破しても良いのですが…」
 「やるって言ってるんだからそんなの良いよ!シンルは俺の弟子なんだから、甘く見んなよ」
 ユリ先生はそう言って、私の腕をぐいっと引っ張り、耳打ちした。
 「鬼に会ったら、『ミズマユリの名において命ず』で良いからな。で、とりあえず使役関係解除しちゃえ。そうすればサルトルに掴まってもバレないから」
 私は小さく頷いて、それからサルトルの方に向いた。サルトルもしょうがなく認めたようで、『気をつけてくださいよ。何かあったら、すぐ逃げてくるように』と言って、式符を渡してくれた。私は式符を握り締めて、崖の穴の中に入り込んだ。
 穴はとても狭く、私一人がぎりぎり通れるくらいだったが、ユリ先生の言った通り、2メートルも進まないうちに圧迫感が無くなった。私は慎重に立ち上がり、印を結んで指先に魔法の灯を点した。
 洞窟は意外と長く、苔のこびり付いた滑りやすい岩の中を、私は5分ほど歩いた。奥に進むほどに、足元に転がる、学院から盗んできたと思われるものが多くなっていく。それらは、水に洗われてほとんど原型をとどめていない。どうやらこのあたりの位置までは海が満ちた時に海水が入り込んでくるらしい。式符の反応はいよいよ強くなり、鬼が近い事を知らせている。
 洞窟は次第に登りになり、ついに海水が入り込まない位置まで来たと思った時、登り坂が終わり、視界が開けた。
 「わぁ…」
 私は思わず小さく声をあげた。五畳ほどの広さの行き止まりの空間に、無数の、本や、何かの袋、花瓶、細々とした装飾品などの物が、所狭しと転がっている。そしてその中心の、可愛らしいデザインの枕の上に、身長30センチほどの、一人の小人が眠っていた。どうやらこの小人が、ユリ先生の召還した鬼のようだ。
 私は小人が起きないようにそっと近づいて、ちょっと可哀そうに思いながらも、勢いよく小人の両足を掴んだ。
 「わっわっ!?」
 小人は驚いて眼を覚ましたが、もう遅い。いくら透明になろうと、こうなってしまえばこっちのものだ。
 「えーっと、ミズマユリの名において命ず、ミズマユリとの使役関係を解除せよ!」
 と、私が叫んだ瞬間、小人の身体から何かが放出されるように、小人の小さな頭髪と服が揺れた。小人は戸惑った表情で、おとなしくされるがままになっている。
 「お前……」
 異変が終わったのを感じ取ったのか、小人はわなわなと身体を震わせながら呟いた。私は、何かされるのかと警戒し、身構える。
 緊張の中、一拍置いて、小人ははじけるような笑顔になった。
 「お前、良いヤツだな!やっと呪いが解けた!!」
 「え?」
 私は、召還などの一時的な契約は、被召還者にとって呪いのようなものだって講義で習ったなぁ、なんて思い出しながら、間の抜けた声をあげる。小人はお構いなしで嬉しそうにまくし立てる。
 「いや、俺もこういう悪戯は好きだけどさ、ホント困ってたんだよ!召還も中途半端な状態だったから、どうすれば解けるのか全然わかんなかったし!それもずいぶん昔の事なのに、最近になっていきなりまたここに戻されるし!」
 私は呆気にとられて、小人の甲高い声を聞く。
 「俺、アルヴィー。いやー、恩があるからさ、今度何かあって、ステルスの小人の力を借りたい時は、俺の名で呼んでくれて良いぞ!だけど、術式を失敗するんじゃねぇぞ!そういうのはもう嫌だからな!」
 「はぁ……、そうですか」
 この小人はついさっきまで召還によって痛い目を見ていたのではないのだろうか。召還術を使う時、自分と性格や性質の似た召還者は呼び出しやすいと習ったが、つまりこれはそういう事だろうか。
 「ところで、取り急ぎ今頼みたい事があるんだけど…」
 私は小人の足を離して、出来るだけ穏やかに言ってみた。小人は私の周りを嬉しそうにくるくると飛び回って、明るい声で答える。
 「おう!何でも言ってくれ!」
 「このガラクタの山の中から、探したいものが三つほどあるんだけど…、どこに何置いたか、覚えてる?」
 「あははは!変な事聞くなよ。全然覚えてないな!」
 「……じゃあ、一緒に探してください」
 私はがっくりとうなだれながら言った。早く洞窟の中の陰気な空気から開放されたいが、そうもいかないようだ。
 
 その後、アルヴィーにミズマユリとの契約の事を口止めして、この事件は、本人の意思での悪戯だったという事にして口裏を合わせてもらった。
 それから、私に捕まった振りをしてもらい、サルトルとユリ先生の前に連れ出した。
 サルトルは私の報告を聞いても、アルヴィーにはまったく怒らず、むしろ、長年の謎が解けた事と、魔力痕の陣が完璧に成功した事を喜んでいた。アルヴィーは、ユリ先生の姿を見つけた瞬間、ぎょっとした表情をしていたが、私の言いつけ通り、召還の事はまったく口にしなかった。
 アルヴィーはしおらしい態度で私達に謝って、それから、もう二度とこの辺りには来ません、と誓ってから去っていった。多分、私が呼んだら来るのだろうけれど。
 それから私達は、洞窟の中の大量の盗品を運び出さなければならなかった。もう危険が無い事はわかっていたので、ユリ先生が入り口を少しだけ爆破して、三人で洞窟に入り込み、もくもくと盗品を運び出した。もくもくと、と言っても、終始、ユリ先生とサルトルは口喧嘩を続けていたけれど。
 全て運び終わった時には、すっかり日が暮れてしまっていた。サルトルは、見つかったノートを持って、満足そうに帰っていった。というか、水翼の術式で海へ出て行ったのだが、まさかそのまま海を渡りきってしまうのだろうか。
 
 断崖の道を、私とユリ先生が並んで歩く。私はへとへとになっていたけれど、ユリ先生は、なんだか楽しそうにニコニコしていた。
 「なぁシンル、手紙は海に流されてたって、嘘だろ?お前、絶対どっかに隠して持ってるだろ!」
 ユリ先生は明るい声で言う。もしかすると、久しぶりにサルトルに会えて嬉しかったのだろうか。
 「本当ですよ。第一、六年前だし、洞窟の中のあの状態じゃ、残ってる方が不思議ですよー、多分?」
 私は、わざと意地悪っぽい言い方をしてみる。
 「てめぇっ!やっぱり何かおかしいぞ!どこに隠した?身体検査だーっ!」
 ユリ先生は笑いながら私に飛びつく。私は軽い悲鳴をあげてもがいた。
 「だから持ってないですって。ちょっと、くすぐらないでっ!…きゃぁーっ!!あははっ」
 朝から動きっぱなしですごく疲れたけど、何だかんだ言って今日一日は楽しかった。それに、ユリ先生の事も、サルトルの事も、最初はびっくりしたけど、前よりももっと好きになれた気がした。
 
 サルトルがノートに挟まれた古い手紙に気付くのは、いつになるだろうか。
 
 
 
 
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RAT
性別:
男性
自己紹介:
槍兵は俺が護る。
座右の銘は憎まれ上手の不器用貧乏。
kisaraku.cute@hotmail.co.jp
極々たまにメッセもする。
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